昭和43年11月12日 夜の御理解
今日私が、あの昼の奉仕を終わるちょっと前でしたが、久しぶりにあの、北野の「福島?」さんが、お礼に出て参りました。今日が丁度御神縁を頂いて、まる六年になる。この人はあの、御神縁を頂いた日を、まぁお礼日という風に決めておる。必ず、必ずそのおみかんを一箱ごと、お神酒を一本と、それにそのまぁお魚料理といったようなものをそえて、必ずお礼に出てくるんですよね。
で、最近あましもう、その大祭にも参ってきとらんくらいでしたけれども、やはり今日という日を、その心の中に頂いて、おかげ頂いておるわけなんですがね。で私ももう、あの一緒にお茶でもあげましてから、色々お話しよりましたらですね、あの、今度豊美ちゃんなおめでた、だそうでございますねち、なんですかち言うたら、金光様のご(教祖?)のところに今度はいきなさるそうじゃないですか。
どうしてあんたそげなこと( ? )北野の信者が先日来てから、あんた、合楽はあんた大変なこっちゃ。( ? )それでもその、喜んでというかなんか分からんけれども、こうそんな風な、言うてですね。大変なことじゃないのというような意味で、そのまぁ来てから聞いたちいうわけです。
それでもう披露宴は何時ですかちいうような事なんです。金光様のご兄弟は良かったね、ていうてからお話したことですけれども、なるほどその話しがあっとらんじゃない。それやはり五代金光様の、のまだ、もしそれが縁談が成就するなら、金光様の姉になるわけでしょうね。
奥様のお兄さんの嫁さんにもらわれよるわけですから。けどもとてももう、まだこっちから返事をしておるわけでもなからなければ、その親教会にお届、お取次ぎを頂いてから、まぁまだはっきりしたまぁ返事も頂いとらんから、まぁそのままにしておるというて、ん、とにかくその、豊美ちゃんという人はもう大変なお徳をもった人ちゃち私初めから思いよったが、やっぱそうでしたちいうわけなんですよ。
どげんところが豊美がそのお徳をもっとったち、いや子供の時から違うとんなさったっち言うて、言う訳ですけれども。どういうところがそげな風に見えたか分からんけれども、そりゃそうですね、やはりやっぱ徳でしょうけれども、これはね、豊美の徳でもなからなければ親先生の徳でもなか。そりゃやっぱり合楽のごひれい。
ね、合楽の御比礼がそういう例えば、そういう事が実現するしないは別としても、確かに大した、まぁいうならばその(なんじゃなか?)けれども、金光様のご兄弟でもなれれるようなですね、まぁその普通でいうなら、運が向いてきとるという風にいうかもしれませんけども、ね、そうとは思いません。
それがどのような風に反対の縁になってくるやら分からん。反対の運になっていくやら分かりません。丁度私はあの、コタツの間であの、鯉を見ながらの話でございましたから、あのそのことを、あの聞かせて頂きよりましたら、★あの山の向こうに芭蕉の木があるでしょう。あの芭蕉の木を、あれにこうバナナがなってるところを頂くんです。
あー、だいたいバナナと芭蕉の木ちゃだいたい違うそうですけれどね。やっぱ同じ種類のもんだそうですけれど。それで私はあの思うたんですけれどもね。えー、例えばんなら、そん、台湾なら台湾で実るところのバナナの木がです、ならここへ持って来てバナナが実るというと実らないということですよ。
例えばんなら豊美ばもし、なら御霊地にご縁を頂いて、しかも古川家といやもう名門ちゅうの名門ですけれどもね、いわゆる教祖様の奥様の御里ですから。古川八百蔵さんの(四代目?)のおつがりの方ですもん。ご長男ですから、その(てん?)で話がありよるところは。
ですからそりゃ大した名門は名門ですけれども、名門に行ったからね、そのこの人が幸せするとか、又はあの、おかげになるということじゃないのですよね。合楽のためにおかげになるということじゃないのですよ。
問題はやはりその、ならここからですね。ならここではバナナが実っとっても、あちらへ持っていったら、もうちぢんでしまってからならんのかもしれんとですよ。ね、問題は、結局その植えるその場所というのが、やはりあの暖かいというか、まぁいうなら本当に信心になってです、例えばバナナじゃないけれども、一皮むかなければ頂けるようになる、ままになるようなおかげにはならんとです。
こりゃ私を始めて、豊美においても同じこと。こうやって、その話がいよいよ、まぁ他所ではもう一人が(もう?)のように言われておるらしいですけれども、ここではまだ全然そげなことはないとです。
ね、そりゃ向こうからはやーやー、昨日も「中田?」先生見えられて、そのことで見えられましてから、もう本当にやーやーいいよる、よりますけれども、こちらでははいっと答えられない事情があるとですよ。
それにあんた、あんたはどうでももろうて下さいといえない事情があるとですよ。ね、ですからそういうような(表、またつく?)その色んな事情というのがです、やはりその間に、こうして神様のご都合、いわゆる私でも、豊美でも一皮むかせて頂かなければですね、あのおかげにはならないということですね。
今日あの、久留米の佐田さんが、先生私の方はここ2、3日あの、御都合付いとりますというわけなんです。もう何でもご都合ご都合ということは、今日月次祭の日に、「けいすけ」君が参ってくるに、小学校一年生です。
それがその、おー、お説教の中に自分の話が出てから、親先生があのご都合という話されたもんじゃけん、もう皆がご都合ご都合というわけなんですね。それから明くる日ですから、昨日ですか。
昨日朝の御祈念を、に参って帰らせて頂いた。ところがもう(どういわんでん?)電気が明々ついてから「けいすけ」君だけが起きとるそうですもん。それけん、あんたけいすけ、どうしてそんげんはようあんた起きとんのって言うたら、神様のご都合よっちいいな。
そげんご都合ご都合ちあんた言うちからあんた、どういうご都合か分からなきゃご都合ち言われんとよっち。で、そんな言うたらけいすけ君がそれをすかさず言う事がですね。僕は今日早く目が覚めたから、神様のご都合ち思うたち言うわけですね。だけんどげなご都合じゃろうかち思うたら、ははーはよう起きて勉強せろちいうご都合じゃろうと思うてから、僕は勉強しよったちいうた。
ん、それこそ大人でん、いわば勝たんようなですね、答えを出して、しかもそれに取り組んでおるわけですけれども、もう全ての事に神様のご都合なんですよ。ね、今あの、見たんですけれども、手紙がきとります。八幡の(おりお?)から、「三橋?」ちいうて、この頃からここへあの、青年教師の講師で見えた有名なご信者さんです。それがその(どうわん?)地区というのは、あの戸畑若松ね、あちらあたりの教会を集めたここ辺に築水前後、築水というように、あちら(どうわん?)地区というわけなんです。
(どうわん?)地区の教会の、えー主だった幹部のご信者さん方が60名こちらにお伺いするということが、話が決定したから、先生その先生の話を三十分あまりでもよいから頂きたい、というそのお願いの手紙が来てるわけなんです。
それでその、それが日にちが何時かというと17日になってるんです。ね、今(いっちょ?)若先生、今福岡いく前にここで、これを見ながら言うんですよ。本当に神様の御演出と言うことは、素晴らしいというてですね。何か例えば他所のしん、そういうことの時には必ずここで何かが(てんやをやして?)おる時とかですね。何かご都合の、まぁいうならば、あーその、はー合楽のごひれいちゃ大したもんだというようなものを思わせなければ、それをお土産に持たせなければおかんというような働きがあるということなんです、何時の場合でも。
その日が丁度、ここの初めての青年会の、総会がござい、大会がございますよね。だから、その若い青年層だけの方達も、沢山の人が集まって(てんやえ?)をしておる時でございましょうけれども、そういうことを若先生言うわけですね。神様の御演出と。
だから、そういうこととても、やはり合楽のごひれいだと思うんです。ね、同時にそれはんなら、合楽のごひれいというても、私共の顔を立てて下さるとか、なんかじゃなくて、もう神様が一人ひとりの氏子におかげ頂かせたいという働きなんです。
はーたった一人の真というか、一人の信心が、このようなおかげになってきて、このように沢山の人が助かっていきよるということは、もうなんと素晴らしいことであろうかと。その信心とはどういう信心であろうかと、なら60人の中の一人でも二人でも、それを感ずる人があって、おかげを頂くことのきっかけが出来たら、ね、神様の願いはその辺にあると思う。
こちらの顔を立てて下さるとか、そういうこっちゃない。とにかく氏子可愛いという、そのやはりいち、神様の、いわゆる合楽のごひれいなんだと。ね、一つ合楽のごひれいが、神様の働きとそういう一つになって、そういう働きになっておる。
今日はその、「福島?」さんが見えてから、言われる、その豊美ちゃんのお徳ですね。もうとよ、豊美のおかげでもなければ私の徳でもない。それは合楽のごひれいだと。ね、だから、私共はごひれいに便乗させて頂いて、ただいうならばですね、あれよあれよと言われておるだけじゃなんにならんとです。
そりゃもし本当にその話が成就するなら、おそらくはあれよあれよでしょうね。いうならば、恵みもなければ、その何というですか、ね、教会としては一番新しい。ね、教師あたりにも、なら名門な教会はいくらもあります。
けれども、なら一番下の段にある、おるところの合楽にです、そういう話があるということは、やはりこれは合楽のごひれいといわなければおられない。それこそある人は、大坪さんがなかなかどうして、そのまぁ演出でもしてです、運動ぐらいしてから、そげなことになったのじゃろうといったような、むきさえある模様でございますけれどもです。
こちらはそんなことは、まぁ問題じゃありませんけれども、けれどもそういうなら人があれよあれよというようなおかげを、ならここのお広前ご造営でもそうです。いうならば、皆があれよあれよというておる姿なんですよ。
ですから、その、それにただ私共がこう(おどらせて?)おるというか、ただ便乗しておるというだけではね、私共助からん。ね、それに相応しい、なら例えばおかげを頂くためには、私の一皮むかせて頂く信心がいよいよ必要であるように、豊美の場合だって同じこと。
ね、バナナで終わるか。ね、芭蕉で終わるか。ね、只しこることはしこったけれども、実はならんじゃったちうなら本当にもうこげんみじめな話はないです。いうならば、(な?)ばっかりではいかんでしょうが(名実?)共におかげを頂くために、そのめいと実というのは、実はやはり自分の信心。
ね、見る目の、いわゆる実力なんだ。ね、その実力の信心がです、私は問題だとこう思うのですよ。今日は、「福島?」さんが見えてから、ちょっとどっからあんた聞いたかっち。何処、誰、誰、何処から聞いてきて、こうなってきよる。それば聞いてから、ほりゃ、ほんにうかつなことは、驚きも出来んなというような気が致しました。私は、実際は本当。
ん。うちの信者にですら、それもそのことを秋永先生が先日あることから聞いて参りましてですね。もうこれは、今度の月次祭に豊美ちゃんのその発表しなさいち。なし、そげなことあるもんの、決まりもせんことち私が言うたところが。他所の信者がですね、他所の信者が知ってしもうてから、うちの信者が知らんてんなんてん言うなら、うちの信者が腹かきますよちいうて、秋永先生が言うんですよ。
ほりゃ勿論、本当に決まり、決定すりゃ発表することは、しましょうけれども、そんなことでした。ね、だからそれとてもやはり一つのね、私は神様の御演出でありね、だからそれを悪いとは思いません。神様はそげんまでして、この合楽のごひれいをいやが上にもですね。こう書きたてておられるような気が致します。どうぞ。
梶原 佳行